何度も立ち上がれる
箴言24章16節
正しい者は七たび倒れても、また起き上がるからだ。
悪者はつまずいて滅びる
ここでいう正しい者とはどういった人でしょう?
律法を忠実に守り行い真面目な人?或いはそうかもしれません。
しかし聖書には「義人はいない。一人もいない」と書かれています。
つまり正しい(律法を忠実に守り行い『続ける』ことは一人もいないということです。
「義人は信仰によって生きる」と聖書に書かれています。
それは福音、イエスキリストを救い主であり主と信じ、日々悔い改める人のことです。
取税人とパリサイ人の祈りの例えをイエス様はお話しされました。
取税人は堂々と「神よ。私は律法を忠実に守り行い、あそこにいる取税人のような罪人でないことを感謝します」と祈りました。
取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。『神さま。こんな罪人の私をあわれんでください。』
天のお父様に義と認められたのは取税人です。
イエスの十字架を本気で信じている人は、主イエスから離れることは決してありません。
それはつまり罪を犯したら悔い改め、悔い改めることが出来なくても、「神様、こんな私を哀れんでください。清い者へと変えてください」と祈ることが出来ます。
イエスを本当の意味で信じていない人は罪を犯しても平気です。
清くなろうとも思いません。
例え品行方正に生きていた人しても、取税人のように自分の行いを誇り、心の内にある罪に気付かないのなら、それは高慢であるが故、その心の態度は神様にどう思われるでしょうか。
神様は心を見られます。自分の罪を自覚し、「こんな罪深い私を哀れんでください。助けてください」と主に祈る者こそが義人なのです。信仰とはこの心の態度であり、そして義人は信仰によって生きるのです。
神様は変わらない愛であなたを愛してくださっています。どんな時でも。
罪を犯している時でも。
それを知っているなら、罪を犯した時に、「もう自分は赦されないからクリスチャンをやめよう。好き勝手したいからクリスチャンをやめよう」となりません。
イエスキリストを信じて義と認められた者は何度も何度も立ち上がります。
信じていない人はつまずいて信仰を捨てます。
箴言24章10節
もしあなたが苦難の日に気落ちしたら、あなたの力は弱い。
人はみんな弱いんです。苦難の日には気落ちします。
自分の弱さを認め、主に助けを求める時、奇跡が起きます。
そしてまた立ち上がることが出来ます。
何度転んでも、何度豪快に転んで人に嘲られ見下され裁かれようと、悔い改めて立ち上がるなら、人にどう思われようとあなたは天のお父さんに義と認められた立派な信仰者です。
あなたは神様に愛され喜ばれている、立派な信仰者です。
わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。わたしは、あなたがたのところに戻って来るのです。
ヨハネの福音書14章18節
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