この世の勝利者とは誰なのか?
世に勝つ者とは誰でしょう。イエスを神の御子と信じる者ではありませんか。第一ヨハネ5章5節
世に勝つとはどういう意味でしょうか?この世で成功すること?
地位よ名誉と富を得ること?みんなから尊敬されること?
例えそんな立派な人であっても、イエスを神の御子と信じないのであれば、世に負けています。
何故ならみんないつかは死ぬからです。
キューブリックとのバリーリンドンという映画で「偉大な人物もろくでもない人物も今はみんな一緒。墓の中」という言葉が出てきます。
いくら一時、巨万の富を築こうが、偉大な人物であろうが、みんな最後は死ぬんです。
死ぬとは負けることを意味するのではないでしょうか。死んだら終わりなんだから。
いつかは忘れ去られるんだから。何もできなくなるんだから。
僕たちは産まれた時から負けることが決定しています。死の道を刻一刻とたどっています。
しかし、イエスを神の御子と信じ、自分の罪のために十字架に掛かってくださったことを信じるなら、その人はこの地上でどれだけ哀れな人生を過ごそうと世に打ち勝ったことになります。
何故なら肉体が滅びた後に永遠の命を持つことが出来るから。
この世の全ては滅びさるとイエスキリストは2000年前言われました。
これは19~20世紀に発見された熱力学第二法則と全く同じです。
この世の全ては滅びます。宇宙へいずれ完全に冷え切って熱的死を迎えます。
これがわかったのはつい100年前のことです。
しかしイエスキリストは2000年前にそのことを知っていました。
信仰とは目に見えないものを信じること。これに尽きます。
草は枯れ、花は萎む。しかし、神の言葉は永遠に立つ。
目に見えるいずれ滅び去る物質を信じますか?
永遠に滅びないといわれる神の言葉を信じますか?
この世界にイエスキリストの十字架の愛より大きいものはありません。
無実の神様であるイエスキリストが僕たちの罪の身代わりとなってくださったんです。
正しいもののために自己犠牲となって死ぬ人はいるでしょう。
しかし、イエスキリストは罪人の僕たちの身代わりとなったのです。
何故ですか?それはあなたを愛しているからです。
あなたが天国に行ってほしいだけです。他にどんな利己的な理由も存在しません。
まさに無条件の愛であり、罪人は自分の罪のために刑を受けて死ぬのが正論でしょう。
しかし、イエス様は愛しているが故にそれを望みませんでした。
それは正論とは言えないでしょう。無実の方が、自分を苦しめた人の身代わりとなって死ぬでしょうか?正論ではありません。それは愛です。
それも、理不尽過ぎるほどの愛です。
宗教は善行によって天国に行こうとします。
しかし、義人はいない。一人もいないとみことばに書いてあるように、70億人いれば70億人が罪人なのです。
いくら良いことをしても、自分の罪が消えるわけではありません。
イエス様が自分の罪たのための身代わりとなったことを悔い改めることによって、値無しに天のお父様に義と認められ、全ての罪が消え、天国にいけるのです。
それは行いではなく「信じる信仰のみ」なのです。
天国行きのパスポートは神様からのプレゼントです。
受け取るか受け取らないか、信じるか信じないかあ本人次第なのです。
神様は人間に自由意志を与えているのです。
考えてみてください。この世で最も大きな愛の行動をとったのは誰ですか?
最もあなたを愛している方はどなたですか?
僕は弱肉強食の世界よ無条件の愛を信じます。
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