罪を知って神の愛の深さを知る
目をさまして、感謝をもって、たゆみなく歩みなさい。
。コロサイ人への手紙4章1節
「たゆみなく」というのは『心のゆるむことがない。なまけない。とだえることがない。』
という意味だそうです。
目をさましてっということは、いつもイエス様のことを思い、祈りつつ、イエス様の再臨を待ち望んで、全てが必然であるわけだから、神様のみこころを感謝して、心をゆるめないで、怠惰に陥ることなく、神様に対する思いを途絶えさせることなく歩むってことではないでしょうか。
もしも日々イエス様のことを考えて生きるなら生き方というのは大きく変わると思います。だって、神様に喜ばれる生き方を選択して生きようと頑張るから。
しかし、いざそのように生きようとすると大きな大きな壁が立ちはだかります。
ローマ人への手紙7章15節、19節
『私には、自分のしていることがわかりません。私は自分がしたいと思うことをしているのではなく、自分が憎むことを行っているからです。
私は、私のうち、すなわち、私の肉のうちに善が住んでいないのを知っています。
私には善をしたいという願いがいつもあるのに、それを実行することがないからです。』
とあります。あのパウロでさえも自分が善をしたいのに、それが出来ないことを悲しんでいるのです。
僕たちはアダムとエバから受け継いだ罪の遺伝子というのがびっしりとこびりついています。
一日のうちで罪を犯さないことはありません。言葉でも行動でも心の中でも、知らず知らずのうちに罪を犯しているのです。
それはクリスチャンになって、聖書を読んで、神様と共に歩もうと思えば思うほど、自分がいかに罪深い性質を持っていることが分かるようになってきます。
そして、みことば通りに生きていない自分に悩み、苦悩し、葛藤します。
僕の場合はそうでした。しかしそこで悩み苦悩し、葛藤するだけではいけないですよね。そして、悩み苦悩し、葛藤することこそが救われている何よりの証拠でもあります。
ユダはイエス様を売った時に罪悪感から自殺をしました。
マタイ7章でイエス様が弟子たちに語った山上の垂訓は有名ですが、これを読んだ哲学者などの学者の人で自殺した人が何人もいるそうです。
何故自殺したのかというと、自分がイエス様が語った通りには絶対に生きられないと分かったからです。
事実、山上の垂訓の一つ一つの全てを実行して生きられる人なんていないでしょう。
もし「いる」というならその人は自分に罪が無いと言っているようなものです。
『第1ヨハネ1章10節. もし、罪を犯してはいないと言うなら、私たちは神を偽り者とするのです。』
本当にイエス様の十字架を信じ、主と共に歩もうと決意した人は必ず自分のおびただしい罪に気付いてくるはずです。
「神様を信じている」と言っていながら、自分の罪に全く気付いていないのなら、それは果たして、本当にイエス様を信じていると言えるでしょうか?
ユダは罪悪感で自殺しました。
学者は山上の垂訓を読み、苦悩して自殺しました。
僕たちは聖書のみことばを読み、その通りに生きられないとしても、絶望する必要はありません。
何故なら、イエス様は僕たちの全ての罪のために十字架にかかってくださったからです。
なので、クリスチャンは自分と聖書のみことばの教えを比較したときに、こう思えるのです。
「嗚呼、こんな僕のために、こんな僕だからこそ、自分の行いでは決して救われない、地獄行き当然だからこそ、イエス様は僕を愛してくださっているから十字架に架かってくれたんだ」と感謝と喜びで溢れてきます。
そうして、自分の罪深さが分かるほど、イエス様の十字架の愛が分かります。
イエス様の十字架の愛が分かれば分かるほど、僕たちは変えられていきます。
以前犯していたような罪を犯したとき、「イエス様はこんな罪のために」と思い、悔い改めるようになります。
本当にイエス様の十字架を信じている人なら「赦されているからいいや」とは思えません。日々悔い改めます。悔い改めてもまた同じことをするでしょう。
でも神様は僕たちの心の中をご存知です。
他人が見ると「全然変わってないじゃないか」と思われるようなこともあるかもしれません。
でも神様は僕たちは心から悔い改めて、イエス様のために生きたいと願っていることをご存知です。神様はその心を喜ばれます。
イエス様は決して僕たちを見捨てません。どんなに大きな罪を犯したとしても、変わらずに愛してくださっています。それを思う時、大きな罪を犯した時に悔い改めずにはいられません。
僕たちは神様の裁きの恐れによって変えられていくのではありません。
恐れや強制で変わるのは、表面上だけ変えられているだけで、本質的なものは変わっていません。
僕たちは神様の全き愛によって変えられていくのです。
恐れることは何一つ無いんです。イエス様はどんな時でも、決して変わらない愛であなたのことを愛してくださっているのです。
ローマ7章24節25節
『私は本当にみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。』
『私たちの主イエス・キリストのゆえに、ただ神に感謝します。ですから、この私は、心では神の律法に仕え、肉では罪の律法に仕えているのです。』
死のからだから救い出してくださるのはイエス様を信じる信仰のみです。
僕たちは一方的な恵みと哀れみによって救われたのです。
だからこそ、感謝せずにはいられないのです。
【創世記28:15】
見よ。わたしはあなたと共にあり、あなたがどこへ行っても、 あなたを守り、あなたをこの地に連れ戻そう。わたしはあなたと 約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。
【ヨハネ14:18】
わたしはあなた方を捨てて孤児にはしません。 わたしはあなた方のところに戻ってくるのです。
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