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セガミのみことばタイム

毎日心に留まったみことばの分かち合いをしています。

もし今日死ぬとしたら、どうしますか?

ヤコ 4:13-16

4:13 よく聞きなさい。「きょうか、あす、これこれの町へ行き、そこに一か年滞在し、商売をして一もうけしよう」と言う者たちよ。

4:14 あなたがたは、あすのこともわからぬ身なのだ。あなたがたのいのちは、どんなものであるか。あなたがたは、しばしの間あらわれて、たちまち消え行く霧にすぎない。

 

僕はいつ死ぬでしょうか?5秒後でしょうか?5日後でしょうか?5年後でしょうか?50年後でしょうか?それを知る人はいません。神様だけがご存知です。

そして死んで持っていけるものといえば、イエス様を信じたということと、愛のあった行動の一つ一つです。

地位も名誉も、お金も、死んだ後には無意味なものとなります。

地位と名誉とお金を山ほど積んだロックンローラーフレディ・マーキュリーは死ぬ間際に言いました。

「全てが虚しかった」と

 

スティージョブスは死ぬ間際にこう言いました。

 

「私は、ビジネスの世界で、成功の頂点に君臨した。
   
他の人の目には、私の人生は、
成功の典型的な縮図に見えるだろう。
    
しかし、仕事をのぞくと、喜びが少ない人生だった。
人生の終わりには、富など、私が積み上げてきた
人生の単なる事実でしかない。
  
病気でベッドに寝ていると、
人生が走馬灯のように思い出される。
  
私がずっとプライドを持っていたこと、
認証(認められること)や富は、
迫る死を目の前にして
色あせていき、何も意味をなさなくなっている。   
  
この暗闇の中で、生命維持装置の
グリーンのライトが点滅するのを見つめ、
機械的な音が耳に聞こえてくる。
   
神の息を感じる。死がだんだんと近づいている。。。。
   
今やっと理解したことがある。
   
人生において十分にやっていけるだけの
富を積み上げた後は、富とは関係のない
他のことを追い求めた方が良い。 
もっと大切な何か他のこと。  
それは、人間関係や、芸術や、
または若い頃からの夢かもしれない。

   
終わりを知らない富の追求は、
人を歪ませてしまう。私のようにね。
  
神は、誰もの心の中に、
富みによってもたらされた幻想ではなく、
   
愛を感じさせるための「感覚」
というものを与えてくださった。


私が勝ち得た富は、(私が死ぬ時に)
一緒に持っていけるものではない
   
私が持っていける物は、愛情にあふれた思い出だけだ。」

 

僕たちは生きている間に何をすべきでしょうか?

お金を稼ぐこと?美味しいものを食べること?有名になって地位と名誉を築くこと?

そういったものは全部、消え去ってしまうものですよね。

どうせ無くなってしまうものです。

「すべての人は草、その栄光は、みな野の花のようだ。【主】のいぶきがその上に吹くと、草は枯れ、花はしぼむ。まことに、民は草だ。草は枯れ、花はしぼむ。だが、私たちの神のことばは永遠に立つ」(イザヤ40:6〜8)

神の言葉は無くなりません。みことばに従順したことだけが天に持っていくことが出来ます。そしてそれは唯一の天の御国での永遠の財産となります。

僕たちは隣人に、家族に、愛する人に、何を話し、何をするべきでしょうか?

それはスティーブジョブスのように死ぬ間際に気付くのではなく、今この瞬間に気付く必要があります。

そしてそのことを覚えて日々生きる人が増えれば増えるほど、この世界は愛に満たされていきます。自分がそのことを覚えて日々生きるなら、自分を含め周囲には愛で満たされ、幸福な人生を歩むことが出来ます。

僕たちはイエス様が赦してくださったように人を赦しているでしょうか?

ごめんなさいをしましたでしょうか?明日のことは分かりません。

悔いの無い人生を歩むために、するべきことは分かっているはずなのです。

 

最後に、一つの動画を載せます。

自分が後5分で死ぬと分かった時に取ったある一人の男のお話しです。

 


もしもあなたがあと5分しか生きられなかったら(日本語字幕)

 

 

 

 

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あなたは誰よりもスペシャルな存在なんですよ

わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。

イザヤ43:4.

 

 

f:id:gtoryota:20160918061257j:plain

 

どうも、聖なるロックンローラーセガミです。

僕はグラフィックデザイナーのはしくれでして、こういった画像を制作するのが好きです。

 

下の画像をご覧ください。

f:id:gtoryota:20160918062403j:plain

 

これは自国のセルフイメージ(信頼と賞賛)が調査国中、最も高い国はオーストラリア、最も低い国が日本という上記結果の画像です。

日本のセルフイメージの低さは、日本の文化に影響があります。

例えば外国では自分の妻や身内を他人に対して褒めちぎります。

しかし日本では自分の妻や身内を悪く言う傾向にあったりします。

恥の文化とも呼ばれていますが、日本人というのは自分や、身内を貶すという文化があります。

お土産などをあげるときも「つまらないものですが」と言いますよね。

外国人がそれを聴くと「どうしてつまらないものをあげるんだ。失礼じゃないか」と驚くそうです。

それは謙遜、謙虚の表れでもありますが、それが裏目に出てしまっているところもあるんですね。

日本は自殺大国であり、精神病院の数が世界で最も多く、一億躁鬱国家なんて言われるほど鬱病の人が多かったりもします。

10代から30代の死因のトップはいずれも自殺という悲しい統計が出ています。

若者の自殺率が世界で最も多いのは日本です。

和を強調文化であるため「壕に入るものは壕に従え」「出る杭は打たれる」と言うように、日本人は和を乱すのを恐れ、和を大切にするがあまり、個性が出せないところもあります。

ブルーハーツの歌でこんな歌詞があります。

「何処かの偉い人テレビでしゃべってる。今の若い人には個性が無さすぎる。僕らはそれを観て一同大笑い。個性があればあるで抑えるつけるくせに」

若い人の自殺率が多いのは自尊心の低さの表れを象徴しているのではないでしょうか。

「自分はつまらない人間だ」「生きていてもしょうがない人間」「人生は面白くない」

「何をやっても出来ない」「自分はダメ人間だ」

ニートや引きこもり、対人恐怖症の人が多いのも、自分に自信が無く、社会に出ること、人との付き合いが怖いからというのもあるのではないでしょうか。

セルフイメージが低いから、ダメな人間と思われたり、見下されるのが怖いのです。

しかし神様はこう言われています。

「私の目にはあなたは高価で貴い。私はあなたを愛している」

僕がクリスチャンになったきっかけのトラクトにはこう書かれていました。

「君はスペシャルな存在なんだ!」

そうです、あなたはスペシャルな存在なんです。そしてあなたは神様に愛されるために産まれてきたかけがえのない尊い存在なんです。

神様はあなたを他に一人としていない特別な人として造られ、特別に愛されています。

目に入れても痛くないほどに神様はあなたのことを愛して愛してやまないのです。

神様がどれだけ自分のことを愛しているのかということを知ると、セルフイメージは回復していきます。

そして神様に愛されているのを心で感じとって生きると、このうえない喜びに満ちた人生になります。

人は身近な人や、自分の悪いところに目がいきがちです。

そして罪の性質を持っているがため、悪いところはもちろんあります。

しかし、良いところもたくさんあるんです。

僕は人の良いところを観るようにしています。

そしてその人の素晴らしいなと思うところを見つけると、その人に対して「あなたってこういうところが素晴らしいですよね。本当に素敵です」とその人に直接褒めるようにしています。

日本人は謙虚で、それでいて真面目ななので「褒めると高慢になるんじゃないか」なんて思って褒めないほうが良いと思うクリスチャンが多いようですが、それは間違いだと思います。

何よりも大切なのはセルフイメージの回復です。神様が自分を最高に素晴らしいものとして作ってくださったことに気付かせてあげないといけません。

 

また、ある実話のお話しがあるのですが、ある国で、作家を目指す個人のサークルがありました。

一つのサークルは有名大学を出た人たちで、賞なども取ったりしたことがある人もいて、才能のある人たちの集まりです。

もう一つのサークルは学歴も無い主婦たちの集まりのサークルでした。

優秀な人たちが集まったサークルの特徴としては、他人の小説の悪いところを指摘しあうというのをメインにしていました。

主婦たちの集まりのサークルでは、他人の悪いところは全く指摘せずに、とにかくその作品の素晴らしいところを褒めちぎるというのをメインにしていました。

数年後、優秀な人たちが集まったサークルから、一人の作家も産まれませんでした。

しかし、主婦たちの集まったサークルでは、たくさんの著名な作家が産まれたのです。

 

僕たちは自分の持っている素晴らしいところに気付いていません。

だから気付く必要があります。

その良いところ、才能というのは神様が僕たちの遺伝子に意図的に刻んだのです。

どうして刻んだのですか?それを用いて欲しいからこそ刻んだのですよね?

才能といっても色々あります。絵が上手な人はそれが才能です。

教えるのが上手な人はそれが才能です。

笑顔が素敵な人はそれが才能です。素直な人はそれが才能です。

優しい人はそれが才能です。愛嬌のある人はそれが才能です。

人は誰でも必ず良いところがあります。

それを自分で探して、または相手が教えてあげるのが大切だと僕は思います。

 

神様はあなたを他の70億人もいる中で誰一人として同じ人がいないほど個性的にあなたを造られたんです。

だからこそ、あなたにしか出来ないことがあるんです。

生きている限り、あなたには、神様に与えられた素晴らしい使命があるんです。

その使命のために、命を燃やしませんか?

クリスチャン作家の遠藤周作は言いました。

「生活があって人生のない一生ほどわびしいものはない」

つまり、生きているだけで何の目標も、夢も無いということです。

僕たちは他の動物と違います。僕たちにはやるべきことがあり、夢を持つことが出来るんです。その夢のために命を燃やすには、セルフイメージを回復させる必要があります。

最後に、以下の動画をご覧ください。

あなたは自分が思っているよりも素晴らしいということに気付く動画です。

 


96%の人が自信を持てない自分の顔も、この絵1枚で笑顔が生まれる

 

 

 

 

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罪を知って神の愛の深さを知る

目をさまして、感謝をもって、たゆみなく歩みなさい。

。コロサイ人への手紙4章1節

 

「たゆみなく」というのは『心のゆるむことがない。なまけない。とだえることがない。』

という意味だそうです。

目をさましてっということは、いつもイエス様のことを思い、祈りつつ、イエス様の再臨を待ち望んで、全てが必然であるわけだから、神様のみこころを感謝して、心をゆるめないで、怠惰に陥ることなく、神様に対する思いを途絶えさせることなく歩むってことではないでしょうか。

もしも日々イエス様のことを考えて生きるなら生き方というのは大きく変わると思います。だって、神様に喜ばれる生き方を選択して生きようと頑張るから。

しかし、いざそのように生きようとすると大きな大きな壁が立ちはだかります。

ローマ人への手紙7章15節、19節

『私には、自分のしていることがわかりません。私は自分がしたいと思うことをしているのではなく、自分が憎むことを行っているからです。

私は、私のうち、すなわち、私の肉のうちに善が住んでいないのを知っています。

私には善をしたいという願いがいつもあるのに、それを実行することがないからです。』

とあります。あのパウロでさえも自分が善をしたいのに、それが出来ないことを悲しんでいるのです。

僕たちはアダムとエバから受け継いだ罪の遺伝子というのがびっしりとこびりついています。

一日のうちで罪を犯さないことはありません。言葉でも行動でも心の中でも、知らず知らずのうちに罪を犯しているのです。

それはクリスチャンになって、聖書を読んで、神様と共に歩もうと思えば思うほど、自分がいかに罪深い性質を持っていることが分かるようになってきます。

そして、みことば通りに生きていない自分に悩み、苦悩し、葛藤します。

僕の場合はそうでした。しかしそこで悩み苦悩し、葛藤するだけではいけないですよね。そして、悩み苦悩し、葛藤することこそが救われている何よりの証拠でもあります。

ユダはイエス様を売った時に罪悪感から自殺をしました。

マタイ7章でイエス様が弟子たちに語った山上の垂訓は有名ですが、これを読んだ哲学者などの学者の人で自殺した人が何人もいるそうです。

何故自殺したのかというと、自分がイエス様が語った通りには絶対に生きられないと分かったからです。

事実、山上の垂訓の一つ一つの全てを実行して生きられる人なんていないでしょう。

もし「いる」というならその人は自分に罪が無いと言っているようなものです。

『第1ヨハネ1章10節. もし、罪を犯してはいないと言うなら、私たちは神を偽り者とするのです。』

本当にイエス様の十字架を信じ、主と共に歩もうと決意した人は必ず自分のおびただしい罪に気付いてくるはずです。

「神様を信じている」と言っていながら、自分の罪に全く気付いていないのなら、それは果たして、本当にイエス様を信じていると言えるでしょうか?

ユダは罪悪感で自殺しました。

学者は山上の垂訓を読み、苦悩して自殺しました。

僕たちは聖書のみことばを読み、その通りに生きられないとしても、絶望する必要はありません。

何故なら、イエス様は僕たちの全ての罪のために十字架にかかってくださったからです。

なので、クリスチャンは自分と聖書のみことばの教えを比較したときに、こう思えるのです。

「嗚呼、こんな僕のために、こんな僕だからこそ、自分の行いでは決して救われない、地獄行き当然だからこそ、イエス様は僕を愛してくださっているから十字架に架かってくれたんだ」と感謝と喜びで溢れてきます。

そうして、自分の罪深さが分かるほど、イエス様の十字架の愛が分かります。

イエス様の十字架の愛が分かれば分かるほど、僕たちは変えられていきます。

以前犯していたような罪を犯したとき、「イエス様はこんな罪のために」と思い、悔い改めるようになります。

本当にイエス様の十字架を信じている人なら「赦されているからいいや」とは思えません。日々悔い改めます。悔い改めてもまた同じことをするでしょう。

でも神様は僕たちの心の中をご存知です。

他人が見ると「全然変わってないじゃないか」と思われるようなこともあるかもしれません。

でも神様は僕たちは心から悔い改めて、イエス様のために生きたいと願っていることをご存知です。神様はその心を喜ばれます。

イエス様は決して僕たちを見捨てません。どんなに大きな罪を犯したとしても、変わらずに愛してくださっています。それを思う時、大きな罪を犯した時に悔い改めずにはいられません。

僕たちは神様の裁きの恐れによって変えられていくのではありません。

恐れや強制で変わるのは、表面上だけ変えられているだけで、本質的なものは変わっていません。

僕たちは神様の全き愛によって変えられていくのです。

恐れることは何一つ無いんです。イエス様はどんな時でも、決して変わらない愛であなたのことを愛してくださっているのです。

 

ローマ7章24節25節

『私は本当にみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。』

『私たちの主イエス・キリストのゆえに、ただ神に感謝します。ですから、この私は、心では神の律法に仕え、肉では罪の律法に仕えているのです。』

 

死のからだから救い出してくださるのはイエス様を信じる信仰のみです。

僕たちは一方的な恵みと哀れみによって救われたのです。

だからこそ、感謝せずにはいられないのです。

【創世記28:15】

見よ。わたしはあなたと共にあり、あなたがどこへ行っても、 あなたを守り、あなたをこの地に連れ戻そう。わたしはあなたと 約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。

ヨハネ14:18】

わたしはあなた方を捨てて孤児にはしません。 わたしはあなた方のところに戻ってくるのです。

 

 

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神様がくれた笑顔という素晴らしいもの

箴言17章22節

「陽気な心は健康を良くし、陰気な心は骨を枯らす」
 
これは医学的にも証明されていることです。「笑う門には福来る」とも言いますね。
それにいつも怒っている人には近づき難いですが、笑いが多い人には近づきたくなるものです。
 
がん細胞をやっつける NK(ナチュラルキラー)細胞 という、素晴らしい細胞があります。
このNK細胞は 「笑う」ことによって増える と言われています。
大阪の吉本興業の「グランド花月」で、笑いと健康について行われた実験によると、漫才、落語、新喜劇を見た直後、血液検査を行った結果、18人中14人が、NK細胞の活性値が上昇したそうです。
つまり、よく笑う人ほどNK細胞が増えて健康になるということです。また、自律神経が回復するとも言われています。リウマチの病気の快復につながることも立証されています。
大笑いすれば腹筋や横隔膜が鍛えられる。すると、 排便がラク になる
楽しいことがあって笑えば、 ストレスの解消に最も適しています。
ストレスが解消されると、 血圧も低下し、結果的に心臓病のリスクを軽減する ことにつながります。イライラしているよりも、笑顔があるほうが仕事がはかどります。
また、人間関係が円滑になります。
笑うことは筋肉を使うので、程よい疲れて安眠出来ます。
たとえ笑えなくても、口角を上げるだけでも脳内のセロトニンの分泌を増やし、幸せな気持ちになります。
僕は笑うのが好きだし、笑かすのも大好きです。
人が笑っているところを観るのが大好きだからです。
笑っている時に嫌な思いをする人なんていません。
笑いがたくさんある人生、笑いをたくさん提供する人生を送りたいと思っています。
笑いというのは伝染します。また、言葉も伝染します。
中学生の時に、変な格好を付けてやる気の無いフリをして「眠いわぁ」「だるいわぁ」と言っていると本当に眠くなってだるくなるを実体験済みです。
神様はとってもユニークな方で、僕は神様がしてくださった笑えるエピソードがたくさんあります。
笑いというのは神様がくれた最高のギフトだと思います。
ある証があるのですが、それは、ある有名なゴスペル歌手の方なのですが、その方は昔、誰かに「お前は愛されていないよ」みたいなことを言われて、それが傷となっていたそうです。
ある時教会で賛美をしている時に「神様は私のことを本当に愛しているのかな?愛してくれているとしたらどのぐらい愛してくれているのだろう」と思ったそうです。
すると、賛美リードの方が賛美が終わった後にこう言ったそうです。
「ここでみなさんに神様に聴いて欲しいことがあります。「神様、あなたは私のことをどれぐらい愛しているのですか?」と祈って訪ねてみまそう」
その女性は自分が思っていたことを賛美リードの方が言ったので驚きました。
そしてその女性は心から祈りました「イエス様、あなたは私のことをどれほど愛しているのですか?」
そう祈ると、教会のドアが開いて、誰かがこちらに来ているのが分かったそうです。かといってそれが見えているわけではありません。
そして明らかに誰かがその女性の隣に座っているのが分かったそうです。イエス様だと思いました。
でも目は開けられませんでした。
それからすぐに、幻を観ました。
それは、天のお父様が椅子に座っていて、机の前に箱があります。
その箱を開けるとその箱の中から自分が出てきて、賛美をしながら踊っているのです。
それを観て天のお父さんは手を叩きながら大笑いをしていたそうです。しばらくすると、箱を閉じます。そしてまたすぐに箱を開くと、同じように、自分が賛美をしながら踊っていて、天のお父さんはまた手を叩きながら大笑いをしながらそれを観ているそうです。
それを天のお父さんは何度もしていました。
そういった幻を観て、また来週の礼拝で、賛美リードの方が同じように言いました。
「みなさん、神様はあなたのことを本当に愛しています。神様があなたのことをどれほど愛しているか、神様に今祈り、訪ねてみましょう」
女性はまた一生懸命祈りました。
「イエス様、あなたは私のことをどれほど愛しているのですか?」
そう祈ってすぐに、また幻を観て、次はイエス様が現れました。
女性はイエス様に尋ねてました。
「イエス様は、あなたは私のことをどれほど愛しているのですか?」
するとイエス様は笑顔で手を大きく広げました。
そして「こーーーーーんなに愛しているんだよ」と言うと、イエス様の広げた手がニューーーっとドコまでもどこまでも伸びていきました。もう両端の手が見えなくなるほどにまで手が伸びていったんです。
彼女はそれを観て泣きながら大笑いをしたそうです。
彼女は神様が自分をどれほど愛しているかを知り、心の傷が癒され喜びで満ち溢れました。
 
後に彼女は有名なゴスペルシンガーとなりますが、彼女は賛美の途中でたまに噴き出すように笑うそうです。
 
聖書を読んでいると、神様って怖い人なのかなと思われがちですが、それは聖書の言葉が堅い感じで書かれているせいもあるかもしれません。
実際イエス様というのはとてもとてもユニークな方というのが福音書の色々な箇所を通して分かります。
例えばザアカイが木に登ってイエス様を観ていると、
イエス様は「ザアカイ、今日はあなたの家に泊まることにするよ」
と言いましたね。こんなところでもイエス様のユニークさが良く分かります。
いきなり「あなたの家に泊まることにします」なんてぶっ飛んでますね。
そしてイエス様は人の目を気にしません。
他の人たちは「どうしてあんな罪人のところに行くんだ」と思い、イエス様の評判が落ちたかもしれませんがそんなことは気にしません。
ザアカイはイエス様を一目でも見たいというほどイエス様を求めていたのです。イエス様はそんなザアカイの心を知っていたのです。
「私を愛するものを私は愛する」
 
箴言17に『わたしを愛する者を、わたしは愛する。わたしを熱心に捜す者は、わたしを見つける。』
とあります。もちろん神様はみんなのことを特別に愛しています。
でも、イエス様をもっと知りたい!と思い、イエス様を求める人は、素晴らしいイエス様のことを色々な方法を通して知ることが出来、そしてイエス様がどれだけ自分のことを愛してくださっているのかということを教えてくださいます。
みんなを特別に愛していますが、イエス様を知らないと、その愛の大きさが分かりません。その愛を受け取ることが出来ません。
イエス様に愛されていることが分かれば分かるほど心は陽気になります。
毎日笑いの絶えない人生になります。
 
マザーテレサの「死を待つ人々の家」では凄惨な環境で、悪臭が漂う悲惨な場所でした。
しかしそこで働くマザーテレサとシスターたちはいつも陽気で笑顔が絶えなかったそうです。
 
クリスチャンは天国に行くことが出来ます。
それは一方的な恵みと哀れみなんです。
それを本当に思う時、喜びで満たされ笑顔が溢れます。
だって、悲しみも苦しみも全くない天国で永遠に幸せに過ごせるんですよ?天国ではみんな笑顔が絶えないでしょうね。
想像してください。天国が約束されているクリスチャンは、それを本当に実感しているクリスチャンならば、この世の全ての辛いことは些細なことではないでしょうか?
 
笑顔が絶えなく、いつも喜んでる人はみんなが自然に寄ってきて、好意を持たれます。
「あの人はどうしていつもあんなに幸せそうなのだろう」と思わせることが出来るならそれは立派な証人です。
 
また、親は子供がつまらなそうに生きていて不幸だと悲しくなるものです。
天のお父様も同じです。子供がいつも喜び、絶えず祈り、全てのことに感謝して生きているのなら、天のお父様もとても嬉しいことでしょう。
神様はいつも僕たちに最高最善をしてくださってるんです。
 
今日一日も神様があなたがもっと良くなって、もっと祝福された人生を歩ませてくださるために、最高最善を用意してくださっています。
それを忘れることなく覚えて、今日一日も生きていきたいですね。
神様が何よりも嬉しいのはあなたが喜びに溢れて笑顔で生きていることです。
 
 
最後に、笑いが伝染するというのを立証した動画をご覧ください。

 

 

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